仕事柄、マレーシアの労働裁判の裁定概要を目にすることが多いのですが、100件くらい見ていると、類似性が気になってきます(日本にいた頃は労働審判などについてまったく知らなかったので、日本とマレーシアの違いについてはわからず。今回はあくまでマレーシアでの話です)。
裁判になっているくらいだから、途中で和解できずに揉めているということで、揉め方も類似してくるのかもしれませんが、労働者側は、大体、
- 会社に長く勤めていて中間管理職や上級管理職などになっている
- 問題が起こる前までは昇進するなど、会社とはうまくやれている
状態です。ところが、ある日、
- 上司が替わる
- 会社がリストラを始める
- 会社が方針を大きく転換する
など、変化が起こり、会社との折り合いがどんどん悪くなっていき、
- 降格される
- 転属させられる
- 解雇される
などの事態が発生して争いになります。会社側が悪い不当解雇のケースもありますが、労働者側がサボタージュや不正などを行ったことが原因のケースもあり、裁定結果はさまざまとなっています。
個々のケースに対する裁定には納得感があるのですが、ふと考えちゃうんですよね。この方々はどうやったらこの問題を回避できたのだろうか、と。だってそれまでは能力を認められて昇進してるんですよ?あと、裁定概要には給与額も表記されているのですが(不当解雇だった場合、会社側に「未払い給与」と「給与額に基づく慰謝料」の支払い義務があるから)、高給の方がほとんどなんですよ。
- 新しい上司とうまくやるためのがんばりが足りなかったのか(相性もありますし、後からやってきた上司が現場のことをよく知らずに頭ごなしに何か言ってきたら、誰でもカチーンとなると思いますが)
- リストラや自分の意に沿わないような方針転換をするような会社をさっさと見限らなかったのが悪かったのか
- そもそも、ある日突然やってきた変化に適応できなかったのがだめだったのか
いや、口で言うのは簡単ですが、それまで何年も何十年もうまくいっていたのに、急に「変われ(しかもほとんどは「悪い方向に適応しろ」)」と言われても、「はいそうですか」と変われるかというと、それはとても難しいと思います。とりわけ、中年以降の硬くなってしまった頭では。
でもやはり変わらなくてはならない。いや、クビにならないために、変なことを言ってくる上司や会社には唯々諾々と従えという意味ではなく、問題解決のために動く必要があるという意味です。環境が変わってこれまでと同じではいられなくなったのだから、ただ腐ったりふてくされたりして現状維持を狙うのではだめだということです。それまでがどんなに快適だったとしても、悲しいかな不変のものは存在しないから。万物は流転するんですね。パンタレイ。古代ギリシャ人すごいな。よくそんな昔からこんなこと知ってんな。
年を取るといろいろなところが衰えてくるため、つらいことが多くありますが(反面、若い頃に比べてラクになったこともあります)、これまでコツコツと積み上げてきた経験や業績を自分から手放すということが一番つらいかもしれないと思いました。生きてきた証であり自分を守る鎧でもあるもんね。でもそれらを手放したとしても、自分の芯に残るものがあると信じて、変わっていく勇気を持ちたいなと思っております。